石の上


新たに「コラム」というカテゴリーを設けました。
初回は、2005年スウェーデンに住んでいた当時に、別のブログにて公開した記事に少々手を入れて転載させていただきます。
少々長くなりますが、お付き合いいただけましたら幸いです。

     * * *

 「スモーランドの農民は空を見ない、って言うのよ。石ころを拾ってばかりいるから。」
 まるで自分自身の動作のように馬の歩みを止めて振り返えると、彼女は秋のかろやかな陽光に目を細めながら言った。ほどよく冷えた空気の中で、彼女の太い赤毛のみつあみも白樺のまだ瑞々しく黄色い葉も自らが発光しているかのようだった。
 ぼくらもまた馬上にいた。日本から遊びに来ていた友人と二人、乗馬林間散策ツアーに参加したのだ。  
 Haurida (ハウリーダ) は 地方都市Jönköping (ヨーンショーピン) から北東へ25kmほどに位置する村落で、小さな赤い木造の教会の斜向かいにその馬小屋はあった。馬小屋もまた赤い。教会よりもふるびて乾いた色だ。
 他の参加予定者がキャンセルしてしまったので、ぼくらとインストラクターの彼女3人を背負った3頭の馬だけが、森の中に分け入った。
 Småland (スモーランド) はスウェーデンの文化圏を区分する地方のひとつである。南部最大で日本の中国地方と同じ位の面積に約70万人が住み着いている。岩盤質の台地状森林地帯に覆われ、もともと農業には向かない土地だった。森を細々と切り開いてつくった拓地は耕しても耕しても石が湧き出てくる、そんな土地だった。Småland の små は形容詞 liten (=小さい) の複数形なのだが、これは大きな町が育ちにくく広大な森林地帯に小さな集落が点在していた様子を物語っているのかもしれない。

c0203085_23335396.jpg



 「この柵は牧草地を囲っているわけじゃないのよ。柵で囲まれているのはこの道の方なの。」
 ぼくらはFägata(fä=家畜・gata=道路)と呼ばれる林間牧草地の農道を進んだ。荷馬車が二台すれ違えるほどの幅で平行する二列の柵は、この土地の開拓の軌跡をなぞるように地面の起伏に合わせて波打っている。
 そしてその道を肩を揺らして歩いているこの馬たちは北方スウェーデン馬というのだそうだ。彼らの種族こそが林業の原動力だったのだろう。鍛え抜かれた力士を想わせる肉体から四肢が樹木のように地面に向かって突き出ている。彼らもまた空ではなくひたすら地をみてきたのかもしれない。

c0203085_2148841.jpg



 農道から外れて獣道を縫うように奥地に入っていく。時々針葉樹の枝をよけなければならない。そしてしばらく行くと土俵くらいの小さな更地が出現する。
「さぁ、ここで一休みしましょ。」
 彼女は木造の休憩所の傍らに馬を寄せ、手綱を結びつけた。手際よくぼくらのもやってくれる。
 休憩所は比較的新しいもののようだ。休憩小屋の分厚い松材の床に3人で腰を下ろすと、彼女はポットからコーヒーを注いでくれた。白樺の皮を編んでできた印籠ほどの小さな容器の蓋を開けると角砂糖が数個詰まっていて魅力的に見えたのだけど、普段どおりブラックで始めて、途中でミルクを少し頂くことにする。
 この更地は民家跡なのだと言う。貧しい小作農が住んでいたのだそうだ。よく見ると確かに石垣の痕跡が苔の中でうずくまっている。
 「特に1800年代後半から1900年代初頭にかけて多くのスウェーデン人がアメリカに渡ったの。最も多かったのがスモーランド人。この地区では人口の半数が移住してしまったのよ。そしてその大多数は小作農出身だった。」
 カスタードクリームが編み込まれたリース状の菓子パンを小刀で切り分けてくれる。糖分が普段使い慣れていない筋肉に染み渡るような気がする。
「後にアメリカから故郷に戻ってきた人はいないのでしょうか。」
 友人が尋ねる。
「そういう話は聞いたことないけど。でも、一度ね、先祖がこのあたり出身だというアメリカ人の一団がこのツアーに参加したことがあって。そしたらそのひとたち、結構スウェーデン語を話せるのよ、普段必要ないでしょうに。感激したわ。」
 その後ぼくらはさらに木々の隙間を抜け、大きな岩を越え、収穫を終えた畑を見下ろし、深まり行く秋の空気とたてがみの匂いを吸い込んだ。

 スモーランドは、しかし、あるいは故に、ものづくりにひとつの活路を見出すことになる。
 アメリカ移住の波と追い重なるようにやってきた工業技術と物流の劇的な進歩はスモーランドの工芸の伝統を産業へと進化させた。木材、ガラス、鋳造、製紙等の各産業が花開いたのだ。素材または燃料としての木には事欠かなかった。
 オレフォシュやコスタ、ボーダと言った国際的に名の知れたガラス製品の産地もこのスモーランドにある。いわゆるガラスの王国といわれる一帯だ。そして、家具の王国もまたここにある。



 気温がまだ氷点下にどっしりと腰を下ろしていた三月半ばの週末、ぼくは森を貫く道路に車を走らせていた。鉄道駅のようにぽつりぽつりと集落が過ぎていく。南下すること小一時間、そんな集落のひとつLammhult(ラムフルト)で車を止める。
 その週末、Lammhult 及びVärnamo(ヴェルナモ)の二つの町に所在する家具製造会社や販売店がDesiners Saturdayと銘打ってイベントを開催していたのだ。
 Lammhults(ラムフルツ)、Norrgavel(ノルガーヴェル) 、Abutsracta(アブストラクタ) 、Källemo(シェッレモ) 、Bruno Mathsson International(ブルーノ・マットソン・インターナショナル)の各社を中心とした工場や展示場の特別一般公開、講演会、スモーランドのいくつかのデザイン学校の展覧会等がそのプログラムの内訳である。
 各メーカーの毛並みは様々だ。スチールと詰め物家具の名手、ラムフルツは近年パルプを人工樹脂で固めた椅子が好評。輸出の割合は60%に上る。ノルガーヴェルはスウェーデンの民衆家具文化をベースにシェイカー家具や日本的ミニマリズムを取り入れ、一般住居環境をターゲットに店舗展開をしている。そしてその筋向いにはオフィス家具の大家として多様なオフィス空間に対応するアブストラクタの工場が構えている。8割近くが輸出されると言う。
 一方、製品の強度や耐久性を品質のバロメーターとして製品試験が普及した60年代後期から70年代を経て、80年代以降「美」を家具の品質の要素として大きく捕らえ、機能美の家具だけでなく芸術表現としての家具も発表し続けているのはシェッレモ。その同じ町から世界中に発信され、すっかり機能主義の一古典として定着しているのはブルーノ・マットソンの家具である。


c0203085_227686.jpg

     革張り作業の一幕、ラムフルトにて


c0203085_2274572.jpg

     ノルガーヴェルのこだわり、オイルテンペラ塗装
     風合いも性能もよい伝統的塗装法だ


c0203085_22834.jpg

     積み重なる衝立、おびただしい種類の部材が並ぶアブストラクタの工場


c0203085_2282841.jpg

     家具販売店 Svenssons i Lammhult で公開されていたLaminoの座張り光景
     「スウェーデンの20世紀の椅子」にも選ばれた50年以上愛され続けている椅子
     そのメーカーSwedeseの本社工場も近隣の町にある


c0203085_22102766.jpg

     シェッレモのお抱えデザイナーのひとり、Mats Teselius の作品
     伝統的な素材や形を現代的デザインに取り入れるのが巧みな人


c0203085_22104080.jpg

     マットソンの初期の作品群。手前から寝椅子・安楽椅子・仕事椅子
     仕事時も心地よくあるべき、というのが彼の考え


 この地で引き継がれてきた家具工房の四代目の息子として樹木と材木に囲まれて育ったブルーノ・マットソンは、スモーランドの自然を愛した。真冬でさえ木の上の小屋で過ごす時間を大切にし、湖畔のジョギングを日課としたという。一般人が健康のために運動するという概念が定着していなかった当時、それは奇行のように思われたそうだ。人間工学的計測を基に設計されたと思っていた数々の座家具は、実は積み上げた新雪に彼自身の身体をあずけてできた窪みから型を取って生み出されたのだという。ちなみに彼は170cmそこそこで、しかも脚が短かかったそうなので、そうしてできた椅子は日本人にこそ座り心地がよいのかもしれない。国際的な成功を収め、パリなどに仕事の拠点を移す話も出たが、生涯スモーランドを離れなかった。交通や通信が現代ほど発達していなかった時代の話だ。

 彼の作品を展示しているBuruno Mathsson Centerでカペラゴーデンの学友にまさしくばったり出くわした。思わず大きな声を上げて抱き合う。一年半前に母校の庭で再会して以来だ。四角くて上だけフレームのついた知的な眼鏡のせいか、ずいぶん大人っぽく見える。陶芸家の奥さんも元気だそうで、丁度育児もひと段落し、制作活動を始めたころなのだとか。彼らもカペラゴーデンの庭で出会ってしまったくちで、おまけに瞬く間に父親譲りの愛嬌のある大きな口をもったかわいらしい男の子までもうけてしまった。
 そうか、彼はこの地方出身だった。今はラムフルトのある家具工場で働いているという。訊けばなんとその工場はブルーノ・マットソン、シェッレモ、ノルガーベルなどそうそうたる家具会社の下請けをしていると言う。下請けと言っても多くの場合、接着手前までの加工あるいはほとんど全製造工程を請け負っているのだそうだ。
 「この間はこのテーブルをいくつかつくったよ。」
 指差したのはぼくがマットソンのテーブルの中で最も気になっているものだった。


c0203085_2218284.jpg

     伝統的なslagbord(一種の折りたたみ式テーブル)をリデザインしたテーブル
     右奥に折りたたまった状態のもの、左手前に広がった状態のもの(部分)
     厚さ25cmのものが4段階に甲板を拡張し、最大12名用にまでなる


 マットソンをスモーランドに引き止めたのは慣れ親しんだその自然環境だけではなく、そこで培われてきたものづくりの技術と精神だったのかもしれない。
 ちなみに、生産品質に非常にうるさかったと言われるマルムステンが信頼した一連の工房群もまたこの地方に点在するし、日本再進出を叶えた世界最大の家具会社IKEAも始まりはスモーランドなのである。

 その友人は木材エンジニアリングを学んだ後にカペラゴーデンにやってきた。三年間家具の工芸的技能と造形感覚を磨き、卒業とともに職人試験も修めた。卒業研究発表会の席では将来の夢として、木工芸と木工業の橋渡しをするような仕事をしていきたいと語っていた。彼もまたスモーランドの家具産業を支えていく一人になっていくに違いない。


c0203085_22195697.jpg

     Buruno Mathsson Center の向いの公園の柵はfägataのと同じ構造だった



 ハウリーダの乗馬ツアーは年中やっていると言う。
「冬もやってるんですか?」
 驚いて訊くと、彼女は料理の隠し味でも打ち明けるかのように得意げに言った。
「冬こそが素敵なのよ。」



by tass-blog | 2010-11-02 08:22 | 日々 | Comments(0)
<< 雪 nr.4 の赤 >>